2007-03-07

「“闇の奥”の奥:コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷」 藤永 茂 2006.12.三交社 2,000円

 これは恐ろしい本だ。コンラッドの「闇の奥」か、それを翻案映画化された「地獄の黙示録」か、ヴェトナムか。19世紀のヨーロッパの小さな王国から、親戚縁者の繁栄を羨み権謀術策の挙句にたどり着いた“闇の奥”の解剖の著書。真に恐ろしい本である。

 ベルギー国王・レオポルト二世の私有地、アフリカ・コンゴ川流域には、「2000万から3000万人のコンゴ人が住んでいたと推定されている。以前はいくつかの強力な王国が並列していたが、300余年にわたる奴隷貿易の結果そのほとんどすべては疲弊弱体化し多数の小部族に分裂していた。」コンラッドの見たアフリカ黒人社会は350年にわたって白人たちの濫用酷使に荒廃した社会だった。
 欧米で生産されたガラクタや酒などで土地の王や首領を手なずけ、彼らが捕虜としていた他部族の人間を奴隷として安く買った。土地の王たちは、捕虜を得る為により奥地へと人間狩りをしたが、海岸線まで到達出来た人数は少なかったし、また、大洋を渡って新大陸の各地へ降り立った人数はさらに少ない。新大陸では二世代・三世代と年を重ねるにつれ、奴隷としての需要も頭打ちになり、奴隷貿易の旨みも薄くなってきたころ、アフリカの別の意味にいち早く気がついたのが、レオポルト二世だった。
  大西洋をまたぐ奴隷貿易が衰えていったのは、需要が落ち、収益性が失われていったと見極めた各国(イギリス1807・アメリカ1808・オランダ1814・フランス1815)は相次いで奴隷貿易禁止令出していた。諸国の興味は輸入奴隷を使っての農業生産から、アフリカ大陸に眠っている天然資源の開発獲得に向けられ、アフリカ分割時代の幕が開いた。リビングストン博士の救出で名高いスタンリーのアフリカ探検報告に目をつけたレオポルト二世が登場する。ヨーロッパ列強が牽制しあっている間に彼は西アフリカを手に入れる。河口域と奥地を結ぶ鉄道建設も多くの現地人や中国人の犠牲を出しつつ完成した。死亡率は九割といわれている。1898年に開通。レオポルト二世に莫大な借金が残ったが、世界の状況が大きく変わり、彼のアフリカが富を生み始めた。1887年空気入りのゴムタイヤの発明から1890年には原料ゴムの世界的品不足が慢性化し、価格が上昇していったのだ。
 「“コンゴ自由国”の半分は熱帯雨林で蔓性の巨大なゴムの木が密林の大木の枝にまつわりついて繁茂していた。1888年にコンゴが輸出した原料ゴムの量は80トンに過ぎなかったものが、1901年には6000トンにまで増大していた。」レオポルト二世の収益はその5割だ。このころ、2000万人の現地人が多数の集落に分散して住んでいただろうといわれている。
 コンゴ自由国での象牙やゴム原料の採取と運搬には苛酷な強制奴隷労働によって行われた。奴隷の現地調達だ。逃亡する奴隷を見張るために公安軍(私設軍隊)が発足したが、これも人身売買で得た徴収された人々であった。黒人隊員に支給された銃弾は厳しく管理された。
 黒人隊員の絶対服従は保証されておらず、待遇は劣悪。白人一人に対して黒人は十数人で絶えず内部叛乱の兆しがあった。「白人支配者側は、小銃弾の出納を厳しく取り締まるために、銃弾が無駄なく人間射殺のために用いられた証拠として、消費された弾の数に見合う死人の右の手首の提出を黒人隊員に求めた。銃弾一発に対して手首一つというわけである。このおぞましくも卓抜なアイデァからどんな結果がもたらされたか?銃を使わずに人を殺し、その手首を切り取って提出し、銃弾をせしめる者が現れた。わざわざ殺さなくとも、過労から、飢餓から、病気から、人々は死んでいった。生きたまま右手首を切り落とされる者も多数に上った。銃弾と引き換えるための手首には不足はなかったのだ。」
 これが、レオポルト二世のコンゴ自由国の「切り落とされた腕先」(severed hands)の真実だ。多数の証言やこのころ発明されでまわったコダックカメラでの写真も残っている。
 ここで、「地獄の黙示録」のカーツ大佐が登場する。大佐の長い告白に「...せっかくのポリオの予防接種を(アメリカ兵から)受けた子ども達の腕をすべて切り落としてまで、敵国アメリカを絶対排除しようとするベトコンのすさまじい闘争精神から、カーツは電撃の啓示をうけたのである。」
 著者はいう、「野生ゴムの樹液採取の奴隷労働の恐怖のシンボルであった“切り落とされた腕先”の蛮行の記憶が、ベトコンが自国の子ども達に対して行った異常な蛮行として歪曲移植されている。これが、驚くべき無神経さと極端な偏見(extreme prejudices!)をもって実行された人種差別行為でなくて何であろう。」
 「このエピソードを歴史的視点から取り上げた評論が見当たらないことは私の理解をこえる。」
 「ブリタニカ百科事典1994年版には、“2000万人か3000万人から800万人に減少してしまったと言われている”とある。正確な数字の決定は望めまい。しかし、1885年から約20年間の間にコンゴが数百万人の規模の人口減を経験したのは確かであると考えられる。アメリカの奴隷“解放”宣言から半世紀後、19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、人類史上最大級の大量虐殺が生起したという事実には全く否定の余地はない。
 しかし、この驚くべき大量虐殺をアフリカ人以外の人間の殆どが知らないという事実こそ、私には、もっとも異様なことに思われる。この惨劇からわずか40年後に生起したユダヤ人大虐殺ならば世界の誰もが知っている。ユダヤ人の受難に比べてコンゴ人の受難がほぼ完全に忘却の淵に沈んでしまった理由を、今こそ私たちは問わなければならない。」
 第二次世界大戦後、植民地は続々と独立し、植民地主義も終焉した、といわれている。そうではない。形を変えただけで厳然として健在だ。現在、内紛の報道の耐えないアフリカ諸国の悲惨さは目を覆う状態だ。民族紛争の形をとってはいるが、その背後に独立前からの採掘利権を手放さない外国資本が、合法的に活動している。コンゴはアフリカ屈指の天然鉱物資源の宝庫なのだ。銅・鉄・金・亜鉛・ダイアモンド・コルタン・石油。それから含有量の高いコバルト・ウラン、露天掘りのこれらの鉱脈には近隣の住民の強制移住や強制労働、さらに素手素足で盗掘する少年傭兵が、レオポルト時代さながらに行われているという。
 「2003年10月、国連はコンゴの天然資源の非合法収奪に狂奔する多国籍企業に関する詳細な調査報告書を発表し、企業名をあげて具体的に批判した。」
 「アフリカの重荷」とは、大英帝国の桂冠詩人で1907年ノーベル文学賞を受賞したキプリングの詩、「日本人には耳慣れないことがであろうが、米英系白人ならば、大抵はその意味を心理的に理解している“白人の重荷 The white man's burdenn”からきている。この詩は、海外植民地獲得に乗り出したばかりの米国に対して、その道の大先輩である大英帝国を代表する詩人としての高みから、植民地経営の心構えについて教訓忠告を与え、激励しているのである。統治の対象は“なかば悪魔、なかば子ども”のような野蛮の民でらり、彼らを文明の光に導くためには、無私の奉仕と無償の善行が要求されると説く。この「白人の重荷」の概念が欧米の根底にある概念なのである。
何を持って「未開」というのか。痩せた牛や山羊を放牧に追っていく半裸の男達、彼らの社会を「未開」というのか。欧米てきな物質文明は持たない彼らに彼らの神話があり、歴史がある。痩せた牛のぶち模様の呼び名を百以上もっている社会、何世代も遡って語れる社会。これでも「未開」というのか。「未開」と「文明」についてはもう少し考えて見なければいけない。
「地獄の黙示録」私見: 映画は確かに設定を「闇の奥」に借りているように見える。コンゴ川はメコンに。先住民から神のように崇められている男、その男を連れ戻しに行く男/抹殺しに出かける男。ベトナム戦争を描いた映画として、乾いたタッチの映像が返って剥き出しの、なくなったはずの植民地主義というか、人種偏見を如実に現れている。コッポラ監督による再三の改訂版は、この著者も述べているように、彼の「闇の奥」の解釈の不安定さを示している。最初の改訂版が出たとき、私は削るのだとおもった。饒舌なシーンをカットすればもっと説得力が出るはずだと。次の改訂版は一時間近く新たなフィルムを入れた。監督の迷走としか考えられない。
 「闇の奥」から少しだけ離れてみよう。カーツ大佐は、自分を殺しに来たであろう若い兵士に向かってこんな風に命令する。殺した後はお前がこの王国を継ぐ、あいつらを全部殺せ、と。若い兵士は斧を振るって大佐を殺し、平伏す先住民や脱走兵の前に出る。次のシーンでは、川を下る男のモーターボートと累々と重なる死体と火だ。これは、「闇の奥」ではない。カーツ大佐が若い兵士に謁見する際に、読みかけの本を置く。
 本はフレーザーの「金枝篇」the Golden Bough by J.G.Frazer だ。その第一章「森の王」で、次のように書いてある。“この聖なる森の中にはある一本の樹が茂っており、そのまわりをもの凄い人影が昼間はもとより、多分は夜もおそくまで徘徊するのが見受けられた。手には抜き身の剣をたずさえ、いつなんどき敵襲を受けるか知れないという様子で、油断なくあたりをにらんでいるのであった。彼は祭司であった。同時に殺人者でもあった。いま彼が警戒をおこたらない人物は、遅かれ早かれ彼を殺して、その代わりに祭司となるはずであった。これこそこの聖所の掟だったのだ。”
 さりげなくだがあからさまに提示された本の表紙。これが本当の種明かしかもしれない。「闇の奥」からの翻案脚色は誰にでもすぐ検討はつくが、実態は二つの合体なのだ。この表面的な設定に監督の迷走の原因があると考える。皆殺しを命ずる台詞が、先住民と出会ったときに発せられるおさだまりの言葉なのである。
 「金枝篇」は、岩波文庫 永橋 卓介氏の訳からの引用
 

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